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自由自由と書いてじゅじゅと読みます。遠距離恋愛のた~を追いかけて、とうとう大阪に来てしまいました。どうなることやら。。。そんな私のぐうたら日記 パートⅡ
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高野山 二日目。




この日は早朝のお勤めに参加しました。
本堂に集合し僧侶の読経を聞きながら過ごす時間は世俗と離れて心が穏やかになるのです。
 

世界遺産に登録されたせいか、最近は欧米からの観光客の参加者も多いそうです。
つい最近はフランス人の団体さんが来たそうです。
  
 
 
朝食 シンプル 味付けのりがいいなー。

 



2日目は奥の院を歩きます。

午前:
高野山奥の院 霊宝館の概要
奥山直司教授  アシスタント 寺生 橘くん

午後:
阿息観実習 
佐藤りゅうげん教授



奥の院までてくてく歩きます。
途中色んな小院があります。ほとんどが宿坊も兼ねてます。

 



奥の院参道入り口



一の橋



まず立ち寄って説明を受けたのが第二次大戦の高野山海軍航空隊の慰霊塔です。

 
 
 
 
密教修行の場であった高野山がいつの頃からか霊場へと変化していきました。
身分や宗教問わず色んなお墓や供養塔が立っています。その数20万基以上と言われていますが、
だれも数えた事がないそうです。



これはなんと、景教の碑です。
景教とは古代キリスト教の一派ネストリウス派の事です。
「大秦景教流行中国碑」といって、ここ高野山のあるのはレプリカで本物は中国にあります。



ローマ教会から異端とされたネストリウス派はローマ領での布教を禁じられ、東方に広まったのです。空海(弘法大師)が渡った時代の唐の西安に古代キリスト教が布教されていたという記録なのです。

アップ。大秦とはローマ帝国の事です。




その横にはこのレプリカを建てたイギリス人女性ゴルドン夫人のお墓がひっそりと立っています。

        
 

ゴルドン夫人はイギリス人の宗教学者で異教も懐に包み込む空海の思想に深く共鳴しました。
唐代の長安で既に隆盛していたキリスト教ネストリウス派と、このころ留学していた空海は何らかの接触があったはずだと考えた夫人は、西安の博物館にある碑の実物からそのまま写し取ってこの碑を建てました。

 

奥の院までの2kmの参道の間に日本史の教科書の登場人物がいっぱい出てきます。



薩摩島津家の墓所





武田信玄、勝頼墓所
墓所と言ってもお骨は入っていません。本当のお墓はそれぞれの在所にあります。
でも戦国武将たちはこぞって高野山に墓所を建てたがったのです。

 
 


伊達政宗の墓所

 




石田三成の墓所。
なんと石田光成は生きてる間にこの墓所を作ったのです。
 関ヶ原の戦いの10年前です。





二の橋



ここから先が奥の院です。弘法大師空海の聖域で写真撮影は禁止です。

 




帰りの参道です。


秀吉の朝鮮出兵戦死者の慰霊塔です。
薩摩藩主、島津義弘、忠恒父子によって建てられました。
日本人だけでなく朝鮮人戦死者も弔っています。








そして今回、自由自由が楽しみにしていた真田家の墓所です。




ここでアシスタントの高野山大学3年の橘くんが説明してくれました。
彼は真田家の菩提寺である蓮華定院(れんげじょういん)の寺生なのです。

 
 
 
 


 奥の院で一番大きい石を使った五輪塔です。
 
 徳川家の崇源院(すうげんいん)、すなわち江姫(ごうひめ)の五輪塔なのです。
建てたのは息子の徳川忠長。
ケーブルカーのない時代に、こんなでっかい石をどうやって運んだんでしょうか?


中には一切経が納められています。


ちなみに五輪塔は大日如来のシンボルで、蓮の台座の上の四角い石から順に上に向かって、地 水 火 風 の4元素と一番上は 空(虚空)を表しています。

  
  
 
ここでかっこいいお坊さん発見!!
別の団体を案内してました。

 
 


徳川家康の次男、結城秀康の石廟。重要文化財です。
古い木造建築に見えますが、全部石造りなのです。

 



隣は秀康の母、於万の方の石廟

 


外壁のレリーフも石です。(アップでご覧下さい)





織田信長の墓所です。
ずいぶん前からそうじゃないかと推測されてましたが、高野山を攻めたこともあるいわば敵なので、そんなはずはないという意見もあり、ながらく論争されてました。
ようやく信長の墓所だと決着がつきました。
 
  
 

死後は敵も味方も関係なくすべての人が等しく受け入れられるのが高野山なのです。

もちろん秀吉の墓所もあります。


 
 
水掛地蔵

 



弘法大師は今も生きていて瞑想を続けているとされ、毎日2回、弘法大師に食事が届けられています。
運よくその列を見ることが出来ました。
まず食事を味見する出発の儀から始まります。
味見のあと、食事は白木の箱に入れられ2人の僧によって運ばれます。

          








参道には企業墓も多いのです。
パナソニックが建てたのがきっかけだそうです。
高野山に墓を建てると言うのが企業のステイタス・シンボルになってるのです。



これはUCCの企業墓 
コーヒーカップの石碑。中にコーヒーが入ってるよと聞いて、アホな自由自由は中を見に行きました。
 



ヤクルト ほんとにヤクルトの形をしてます。

 



福助
中央に福助人形がいます。





歩いてきた参道をふりかえります。

 





次に「霊宝館」を見学します。



高野山の仏像などの文化遺産を保存展示しています。


金剛曼荼羅
  
          


胎蔵曼荼羅

     









ようやく昼食です。お腹空き過ぎて写真撮るの忘れました。
これは湯葉巻揚げ 天ぷらも入ってます。




大豆ご飯






食事後わずかの自由行動。 大急ぎで真言宗の総本山 金剛峯寺へ。
前に来たことあるので写真だけぱちり。それにしてもいい天気だな~。
 
 


主殿
桧皮葺の屋根です。




屋根の上にあるのは天水桶(てんすいおけ)です。
雨水をためて火災の時、屋根に火の粉が移らないようにしています。




鐘楼 





午後からは阿息観実習です。
阿息観とは瞑想に入る前の呼吸法のことです。
畳敷きの広い道場で大日如来を表す梵字の書かれた掛け軸を前に座ります。
 (写真は借り物です)

 
      




あっという間に帰る時間です。
バタバタとバスに乗り込み高野山駅へ。
ケーブルカーで山を降りると、極楽寺駅には七夕の風鈴が涼しげに揺れてました。


 
 
 
 
 
 
一泊二日の高野山旅でしたー!



またね~emoji




emoji
高野山へ行ってきました。ぱーと1







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