自由自由と書いてじゅじゅと読みます。遠距離恋愛のた~を追いかけて、とうとう大阪に来てしまいました。どうなることやら。。。そんな私のぐうたら日記 パートⅡ
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きもので
藤を見に行きました。
前日は絶好のきもの日和だったのに着て行かず、そして翌日の天気予報は雨
今日しかないと着物でお出かけすることになりました。
去年はかきつばたを見に行きましたが、同じ紫で今年は藤を見に行くことにしました。
藤といえば、自由自由の地元、葛井寺(ふじいでら)です。
商店街から歩いて来て小さいほうの門から入りました。
地元では「観音さん」と呼んでました。
8世紀、聖武天皇の時代に百済の王族の末裔葛井氏(ふじいし)によって創建されたとされています。
今が見頃。カメラを持った人がたくさん来てました。
藤棚
昔はなかったのに、藤棚の下にお洒落なカフェができてました。
本日のコーディネート。
単衣の伊勢木綿はこの時期、ちょうどいいです。藤に合わせて、た~のお祖母ちゃんの紫の帯締めをしてみました。
白い藤もあります。
南大門の仁王さん
仁王さんの裏側の地獄絵
一部です。
残酷な描写です。た~はよう出来てる絵やと言って全部写真撮ってました。
全体はこんな感じだそうです。(借り物です)
何枚かの絵をつなぎ合わせたものです。
色んなブログで挙がってる全体図を見ると観音さまの位置が右だったり左だったり違うのです。でもこれが継ぎ目がスムーズに繋がってるので正解だと思います。
すぐ近くの辛国神社(からくにじんじゃ)
子供の頃、ここはなんか怖くて入れなかった場所です。
葛井寺の方が縁日などで賑わってて、ここは忘れ去られたようにいつも暗く空気がひんやりしてて人も通らない所でした。
今は御参りの人もちらほらいました。
昔より参道が長くなったような気が。
どうやら拡張したみたいです。
1500年前 雄略天皇の時代に物部氏によって創設されたそうです。(昔は気にも留めなかった)
正確には物部守屋の曽祖父の時代なので飛鳥時代よりも前です。
辛国と言う名前からも、ここが朝鮮半島からの渡来人が住みついた地だとわかります。
物部氏は廃仏派だったので、すぐ近くに葛井寺があるのも皮肉な感じです。
蘇我氏との神仏闘争で物部守屋が殺されて、この地は葛井氏によって治められることになったのです。
隣の駅が「土師ノ里」(はじのさと)といって、大陸から渡来した工芸集団 土師氏ゆかりの地なので、ここは歴史のディープスポットなのです。
昔はなかった赤鳥居
商店街
ここはかつてものすごい買物客でごった返してたのに。シャッターがしまってるお店が多かったです。
子供の頃によく行った駅前のお好み焼屋さんは健在でした。
お好み焼のあとのソフトクリームがすごくおいしかったのです。
路地
小中学校で同級生だった子の靴屋さんもいつにまにか無くなっていました。
子供時代を過ごした街にた~と来るのは、うれしい様なこそばゆいような感じです。
荷物がまだ来ないので、た~ん家に半分居候です。
居候の身で食事を作ってもらうのは申しわけないので、今日からは自由自由がご飯を作ります。
と言っても、前にも作ったメニューばかりです。
1月から新メニュー開拓してません。
あべの近鉄の地下で買った茄子

新玉ねぎのそぼろ煮とししとうのおひたし。
筍と豚肉の炒めものに米なすの田楽
筍は我ながら上出来。た~はガシガシ食べてました。
落ち着くのは当分先になりそうです。
とりあえず、PCだけ使えるようになりました。



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