自由自由と書いてじゅじゅと読みます。遠距離恋愛のた~を追いかけて、とうとう大阪に来てしまいました。どうなることやら。。。そんな私のぐうたら日記 パートⅡ
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
秋が
終わってしまうよー。
またまた土日は講義を受けに行きました。
今回は奈良です。
講義は山辺規子先生だにゃ。この方は地中海世界、南ヨーロッパの食生活に関する著作を多数しるされてます。
授業中のパワーポイント画面
これは「Tacuinum Sanitatis 」と言って日本では「健康表」と名付けられてます。
11世紀のアラブ人イブン・ブトラーンがバグダッドで学んだ医学をまとめた書物の写本です。
健康のためにはこうした方がいいとか、癇癪起こしたらいかんよとか、ワインは女に飲ませるなとか、人間の心と身体の健康のためにするべき事が鮮やかな絵で載ってます。
豚や牛のさばき方なども絵で説明されています。結構生々しいです。イラストを描いたのは当時の宗教画家です。
既に絶版で世界中で630冊しか写本がなくて、 これはその272番目のファクシミリ写本です。
これは収穫したブドウを樽に入れて足で踏んで搾汁してるところです。
と、ここで思い出したのが
キアヌ・リーブス主演の映画「雲の中で散歩」です。
同じようにワインの葡萄を収穫した後に、女たちが樽で踊りながら葡萄をつぶしていくのです。
男たちは楽器を奏で、みんなで収穫を祝っています。中世からずーっと続いてきたんだなー。
お昼休みは学食でカレー。土曜日は天気がよかった。
奈良女子大の敷地にて
今年は京都の紅葉見に行けないまま秋が終わってしまいそうです。
替わりと言ってはなんですが、ここの紅葉もきれいだよ。
あー。銀杏がたくさん落ちてる。持って帰って茶碗蒸しに入れたいなー。
日差しを浴びて赤が際立つ。
午後は自由自由の好きなコーヒーやチョコレート、パスタに関する講義もあって面白かったです。11世紀ころの地中海ではパスタは茹でてチーズを振るだけで手づかみで食べてたそうです。
食器を使ってたのは王侯貴族だけ。そう考えると中国や日本の方が洗練されていたのです。
日本初のイタリア料理店と言われてるのは新潟の「鹿鳴館」
現在は「ホテルイタリア軒」として残っています。
戦後の日本で、進駐軍相手に考え出されたのが、「ナポリタン」
アメリカ人の好きなケチャップがかかってて早くて大好評。
1970年の大阪万国博でイタリア人コックが大量に来日。初めて本場のイタリアンを知った日本人料理人はイタリアに料理修業に出たのです。
2度目はそんな修業したコックたちが帰って来てあちこちに開店したイタ飯屋ブーム。ティラミスの大当たりで第二次イタリア料理留学が始まりました。
今は日本のイタ飯が本場に逆輸入。日本人が開店したイタリア料理店が初めてミシュランで星をもらいました。
講義終了後、写本を見せてもらえました。
日本で所蔵してるのは奈良女子大だけだそうです。
貴重な物を見せていただきました。
話は変わって、ここで秋の昭和歌謡です。
「時代屋の女房」
主題歌「アゲイン」ちあきなおみ
https://www.youtube.com/watch?v=BP85TINtVY8
これいい映画でした。野良猫の様にふら~っと現れてそのまま居ついて、またふら~とどこかへ消える謎の女。いつまでたっても鈴を付けられない渡瀬恒彦。あーやきもきするな―!
じゃあねー、
PR
この記事にコメントする