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自由自由と書いてじゅじゅと読みます。遠距離恋愛のた~を追いかけて、とうとう大阪に来てしまいました。どうなることやら。。。そんな私のぐうたら日記 パートⅡ
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歴史探索 


ぱーと2です。






2日目は京都の鳥辺野(とりべの)付近を訪れました。


鳥辺野は鴨川の松原橋(旧五条大橋)を渡って、松原通りを進んだ清水寺の南西方向一帯を指します。ここは都の死体置き場でした。

平安時代、貴族や一部の権力者はお墓に埋葬されましたが、一般庶民はこの場所に打ち捨てられていました。鳥葬、風葬という習慣で死体は野ざらしのまま腐るに任せ、鳥に啄まれやがて土に還るのです。





六道の辻です。
ここが現世と異界の境とされました。






「子育飴(こそだてあめ)」のお店もこの辻にあります。
朝から観光客でいっぱい

 

昔々、お腹に子を宿したまま亡くなった女性がいました。
女はお墓の中で産まれた赤ん坊の為に夜な夜な一文銭を持ってこの店に飴を買いに来ました。そして七日目にもうお金がないので替わりに着ていた羽織を置いていきました。
翌日、店主が店先に羽織を干していると、女性の親が見つけ、先ごろ亡くなった娘を葬った時に着せた羽織だと言ってきました。墓を掘り起こすと遺体に抱かれた赤ん坊が泣いており、三途の川の渡し賃にと一緒に埋めた六文銭は無くなっていたというお話です。

 

          


この怪談話は「ゲゲゲの鬼太郎」のモデルになりました。






そんな幽霊話がほんとにありそうな地名。
なんかおどろおどろしい漢字。ろくろと書いてますが、昔は髑髏町(どくろちょう)でした。



鳥辺野まで死体を運ぶのが面倒だと、鴨川に捨てたり、この辻に捨てていく者が後を絶たなかったそうです。なのでこの辺りはあちこちにどくろが転がっていたと言う、とんでもなく不衛生な状態だったわけです。
京都に疫病がたびたび流行したのも納得できます。





六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)


 

元は平安時代に空也が創建した西光寺です。後に六波羅蜜寺と改名されました。

空也は疫病が蔓延していた京都の町を観音像を車でひきながら踊り念仏を唱え、お茶をふるまって病人を癒したとされています。

 




 



『此付近、平氏六波羅第 六波羅探題阯』の石標が建っています。
敷地内に平家一門の拠点、六波羅館が置かれていました。

 


六波羅という名前も古い地名の轆轤原(ろくろがはら)が由来だと言われています。




この時期、どのお寺もご本尊や文化財の一般公開が行われています。
自由自由も本物が見れました。
 
重要文化財「空也像」。教科書でお馴染みです。

 
 
杖は鹿の角で口から出てるのは阿弥陀仏六体です。「南無阿弥陀仏」と唱えると、その言葉は仏となって口から出てくるのです。
撮影禁止で撮れませんでしたが、隣には平清盛坐像もありました。




薬師如来坐像の周りには四天皇2体が展示されていました。
 左は薬師如来坐像、右は持国天

  






次は六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。
この辺りが六道の辻であると言われています。六道参りの拠点です。





冥界の入口です。
 盂蘭盆会に京の人は六道参りと言って死者の霊を迎えにくるのです。
  
     







ここは小野篁(おののたかむら)が冥界に通ったとされる井戸もあります。





境内

 

 



ここの鐘は土の中に埋まっています。鳴らすと地獄まで届くと言われています
盂蘭盆会にはこの鐘を鳴らして先祖が迷わないように「こっちやで~」と死者の霊を迎えます。地獄に落ちた死者の霊もこの時は現世に戻れるのです。

迎鐘(むかえがね)は来年まで修復工事中です。





重要文化財の「木造薬師如来坐像」も扉が開かれていました。






「冥土通いの井戸」です。
 冥界に通じているとされています。小野篁(おののたかむら)はここから毎夜、あの世へ通ったそうです。
 
覗くと自分の顔がはっきり映るくらい水がキレイでした。

 

小野篁は百人一首でも有名で漢詩に優れていました。
遣唐使に選ばれていたのに内輪もめで乗船を拒否。自分を残して旅立った遣唐使の恨みつらみや批判を詩にした事で上皇の怒りを買い、隠岐に流された事もあります。
でもしばらくすると、また朝廷に呼び戻されるくらい優秀な官僚だったのです。

昼は朝廷の役人、夜は閻魔大王のもとで冥官をしていたという伝説があります。
 
 

そして2011年に発見された二つ目の井戸。
「黄泉(よみ)がえりの井戸」です。

 


冥界の出口です。小野篁はここから現世に戻りました。
結構深くて底が見えませんでしたが、小さな電球をいっぱい紐に付けて垂らしていました。





水琴窟

 

水を少し垂らしてしばらく待つと、キンキンときれいな音が鳴ります。水が冥界に落ちて響いているように聞こえました。







そしていよいよ大本命。
「熊野勧心十界曼荼羅」です。



本物です。人が映らない一瞬に慌てて撮ったのでぶれてしまいました。



日ごろからた~がよく言ってる「六道」をじっくりお勉強した二日間でした。




帰りはぶら~と建仁寺に寄りました。
今日は人が全く入ってないショットが撮れました。
 
 


 
 

 


まだ紅葉はしてませんが、少しだけ色づいてました。





松原通りで人力車発見!

 

 
 
 

日曜日なので夕方の祇園は人があふれています。ここは置屋も並んでます。
レンタル着物を着てそぞろ歩くカップルだらけです。右を見ても左を見ても着物着物。こんなに着物着る人多かったっけ? 自由自由も着物が着たくなりました。

そんな中で本物の舞妓さんを発見!
お稽古の帰りでしょうか。「すんまへーん」と言って足早に去っていきました。

 


赤い鹿の子のうしろ姿を見てると、哀れな小比丘尼の事が思い出されました。
この世の花とあの世の絵解き。川を挟んだだけで全く違う世界です。
鴨川はほんとに三途の川のようです。




そんな感慨深い日の夕食はた~が焼いてくれたステーキでした。
(肉食うかー)
ちゃんと日本酒でフランべしてくれました。
大根おろしとポン栖醬油で。


 



その前の日はパスタでした。

 
 

ポテトサラダもつけました。卵使いすぎたかな。

 





というわけで、自由自由の歴史探訪でしたー。
 
 
 
 
 
  emoji
熊野比丘尼



 
 
 

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